関東大震災の前兆地震は茨城沖だった?

M7の地震が6回?

1923年(大正12年)9月1日 11時58分、
相模湾北部を震源とする海溝型の巨大地震、関東大震災が発生しました。

岐阜測候所の地震波形データ(1993年)によると、関東大震災では11時58分に発生したM7.9の本震から3分後に東京湾北部 M7.2、その5分後に山梨県東部 M7.3という巨大な揺れが三度発生した「三つ子地震」であることが判明。

つまり、神奈川県西部、続いて東京湾北部、山梨県東部と本震が三つ連続。

また「三つ子地震」の後にも、東京湾を震源にM7.1、千葉県津浦沖でM7.6、九十九里沖で M7.1と、M7の地震が合計6回も発生したことが判明しているようです。

震災から4ヶ月後の大正13年1月にも、神奈川県西部で丹沢地震 M7.3が発生。大規模な地震があった場合は、やはり長期に余震警戒が必要になると分かります。 


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関東大震災の本震・余震
〈9月1日〉
11:58 M7.9 相模湾北西沖 80km
12:01 M7.2 東京湾北部  
12:03 M7.3 神奈川県・山梨・静岡県境

12:17 M6.4 伊豆大島近海
12:23 M6.5 相模湾
12:40 M6.5 相模湾
12:47 M6.8 山梨県中・西部
13:31 M6.1 静岡県東部
14:22 M6.6 静岡県伊豆地方
15:19 M6.3 茨城県沖
16:37 M6.6 静岡県東部

〈9月2日〉
11:46 M7.3 千葉県南東沖
18:26 M6.9 千葉県東方沖
22:09 M6.5 静岡県伊豆地方

(ウィキペディアから)

関東大震災の前兆は・・・

関東大震災で全壊した家屋の約6割、6万4千棟近くを激震地の神奈川が占めていますが、前兆となる地震はあったのでしょうか? 

藤沢の鵠沼で暮らしていた画家の岸田劉生は、日記をつけていて、その中にたびたび地震のことが書かれています。(『岸田劉生全集』第8巻 日記)


1923年の1月14日、藤沢から東京・銀座にでかけた岸田劉生は、「ひどい地震があつて一寸驚く。」
震災の、およそ8ヶ月前で「ひどい地震」と書かれているところをみると、かなりの揺れだったのでしょう。

6月になると「今朝方か又地震あり、よく地震がある。無事を祈る。八時半おきる。」と記録があります。
この時期になると、「また地震だ」という不安を感じ危惧するほど、揺れが連続していたようです。


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関東大震災で倒壊した劉生自宅の屋根の上で 1923年9月

茨城県沖での地震に注目

東京大学名誉教授の溝上恵(みぞうえめぐみ)氏は、茨城県沖地震と周辺地域の地震が連動することに注目。

「茨城県沖での大型地震は、首都圏直下大地震の引き金となる可能性がある」という仮設をたてています。


dot.asahi.com


*実際に、関東大震災が迫った1923年5月から6月にかけて、M7.3を最大規模として、M6以上の地震が茨城県沖で6回も観測されている。

*同様に、1921年から3年連続で茨城県南西部でも大きな地震(M7.0、M6.1、M6.1)が起きた。

「1、2カ月の間にM6を超える地震が6回も立て続けに起こることは、きわめて稀(まれ)といわねばならない」と溝上氏は指摘しています。

ちょうど、5月から6月にかけての茨城沖の群発地震などは、岸田劉生の日記と一致しています。




広域避難場所「茅ヶ崎ゴルフ場」の開発について

ところで、関東大震災では湘南一帯も激震に見舞われ、家屋倒壊などの被害を受けました。

茅ヶ崎市の場合、震災当時は3500世帯しかなかったのですが、今や10万世帯に達しようとしています。ポツンと一軒の家があった場所に、今では30軒の家がひしめきあっているようなもの。

この住宅密集地は、クラスターと呼ばれる延焼運命共同体となっています。

特に、茅ヶ崎市の海岸側では、震災時に県で最大の巨大な延焼火災が想定されています。この延焼火災から命を守るには、「広域避難場所」という広大なスペースが必要になります。
(よく間違えるのは、小・中学校は避難生活を送るための「避難所」です。)

県の職員は、人命より仕事

海岸側にある「茅ヶ崎ゴルフ場」は6割が県有地で、周辺住民6万人の広域避難場所に指定されています。

6万人の広域避難場所として12万㎡の確保が必須となっています。(茅ヶ崎ゴルフ場の場合、県有地の面積がそれに該当。)

つまり、県有地の面積は「広域避難場所」として確保せねばならないのです。
しかし、開発事業者は「それでは採算が取れない」と主張。県は広域避難場所を半分の6万㎡に減らす、人命より利益の事業を選択しました。 


実は、茅ヶ崎ゴルフ場の開発計画がはじまってから、熊本地震が発生。
M6.5、M7.3が連続し、震度7を2回も観測。(そのさなかに、県は平然と開発案を募集)
そのあと茨城南部・北部の連続地震、鳥取県中部でM6.6(震度6弱)、福島沖のM7.4、糸魚川市の大延焼火災・・・

まるで、何かを警告するような地震と大火災の発生。
その被害を目の前に見ながら、県の職員がが開発計画が進めていくことに、住民は得体の知れない不安と、気味の悪さを感じています。 

熊本地震のあと、テントを投下すれば避難生活所にもなるような、広域のスペースの必要性を求める声は大きくなり、深刻な問題でもあるペット避難にもゴルフ場の天然芝は最適。

それは6割が県有地だからこそ可能。

なぜ、神奈川県は、市民(県民)ファーストでなく、行政(職員)ファーストになっているのでしょうか?


★「みどりが命を救った」先人の声 

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