真夏の出来事 さいはての街 茅ヶ崎?

「真夏の出来事」といえば、昭和46年の平山三紀さんのヒット曲。

この曲の歌詞に「彼の車に乗って、最果てのまち、私は着いた」という部分があって、「最果てのまち、ってどこですか?」と聞かれた平山三紀さんが「茅ヶ崎 かな」と答えていた記事を読んだ記憶があります。

そういえば、同じ年に尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」がヒットして、当時小学生でしたが、茅ヶ崎育ちの尾崎紀世彦さんにサインをもらったりしました。

今回の話は、ヒット曲とはまったく関係のない内容ですけど、当時の何もなかった頃の茅ヶ崎が懐かしいと同時に、茅ヶ崎行政はその時のまま止まって、ずっとつながって今に至ってるのかもしれない。

真夏のできごと

暑い、暑い真夏の、平成27年7月から8月まで、茅ヶ崎市内12ケ所の公民館や会館、コミュニティーセンターで、市民と市長(市役所)との「懇談会」が開かれました。

「懇談会」といっても、「総合計画第3次実施計画」という、今後3年間、何にどれだけ税金を使っていくか、事業内容や目的など多岐にわたって、市民と市が意見のやり取りをします。 

今後の茅ヶ崎市の方向性を決める重要な懇談会、というわけです。(実際は、市民の声を聞いたというアリバイ作りですけど)

いきなり、そんなもの配られてもね

市民の出席者は、ひと会場で多くて20名ぐらい。
参加者に若い世代がいなくて、高齢の方ばかりなのは、いつもながらの光景です。

会場に入ると、「総合計画第3次実施計画」という70ページ以上の分厚い、分厚い資料、「基本構想」という40ページの分厚い資料、「採択事業一覧」の40ページの分厚い資料が渡されます。

この時点ですでに「どれだけ資料作りにムダな税金を使っているのか?」という疑問が。

当日に、市民はこれらの分厚い資料を何冊も、いきなり渡されて、わずか数10分ほどの市からの説明(というより、ただの読み上げ)のあと「意見をどうぞ」と言われます。

誰もそれを見て、すぐには何も言えない状況です。当り前です。

そもそも、そんなことの出来る、神ワザみたいな市民がいるはずありません。

市の職員が「このページには**が書いてございます」と分厚い冊子を読みあげるあいだ、ほとんどの会場で市長は居眠りです。 

あちこちで「市長、寝てるんじゃないの?」とささやく声、市長の姿をにらみつけている人、写真を撮る人も。

「当日の資料配布で意見を出すのは無理!」という市民からの指摘は、前々から何度もあります。

こんな「市民に分かりやすく説明するという視点のほとんどない分厚い資料」を当日渡されても、高齢の方などは何とか理解しようと、ページをめくっています。若い世代は、見た瞬間、まわれ右です。

こんな状態でも、市民に説明し懇談会を開いたという事実で、市民が了解したことになります。ひどい話です。

いったい、何のために時間と税金(資料作りの委託費、人件費など)をかけて、市内12カ所で「懇談会」を開くのかということにもなります。

これでは、参加した市民も、アリバイ作りに呼ばれたようなものです。

茅ヶ崎市の DNA

しかし、何で改善しないのでしょうか?

「何で、こんなやり方に、いつまでも染まっているのだろう?」ごく素朴な疑問がわきます。

それが「茅ヶ崎市役所の DNA 」という分かりやすい説明も聞きます。

初代市長の時代から、めんめんと続く土建政治が、今に至るまで受け継がれているというものです。

*土建政治とは ⇒ 戦後、土建屋が献金や集票によって議員を支え、議員は公共工事の予算獲得によって見返るシステム。

市長、市の幹部職員、議員は、姉妹都市提携のためにホノルル行きを54回繰り返すという熱心さです。


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ホノルルでのパレード

「総合計画第3次実施計画」のおおもとである、「茅ヶ崎市総合計画基本構想」は、平成23~32年度までの10年間の計画を作るものです。

しかし、市長の任期は4年間。次の選挙で市長が変われば、公約も変わり、前市長の作った計画と、矛盾や変更点、場合によっては中止の事業も出てきます。「現在の市長が、任期を超えた10年間の計画をたててしまうのがおかしい」と、10年の総合計画を廃止する市もあります。

いずれにしても、時代は変わり、リーマンショックや、大地震や水害といった想定外の災害に、時代がかった総合計画では、対応できない場面が必ずやってくるはずです。

時代錯誤の市民集会はやめて

そして、一部の自治会の高齢者が権力者であるかのようにふるまい、それに市の幹部職員が同調する市民集会もあります。

自治会に、今どき「目安箱」が設置されていて、その箱に入っていた何通かの住民の要望について、市民集会で市が回答します。

「カラスがうるさくて困っている」とか「自転車の運転マナーが悪い」などについて、市の担当職員が回答を棒読みしてるのを、住民は黙って拝聴して、高齢者の座長が満足そうに付け足しの説明をする。

座長は、紅白歌合戦の総合司会とトリ、みたいなもので、座長の思い通りにすべては進行せねばならず、帰り際に職員は座長にぺこぺこして帰ります。

座長は自分が話し合いをさせたくない項目は、時間切れの理由で打ち切ってしまい、(いちばん最後の項目にして時間切れにする)、「それは、まずいのでは?」と参加住民が質問すると、「出て行け」と言われたりします。

「話し合いの余地がない」のでは独裁。

あるいは、さらに「パワハラ」「モラハラ」に足を踏み入れているような自治会もあるということです。

大名と平民の姉妹都市提携だって

そういえば、茅ヶ崎ではホノルル姉妹都市提携の時も、市議会議員の驚くような表現がありました。

「ホノルル市にお願いだから姉妹になって下さいと、お願いしたのは茅ヶ崎市側。江戸時代で例えるなら、大名と平民が姻戚となった様な感じで、姉妹都市締結したからと言っても対等では無い・・」 

まあ、真実と言えば真実でしょう、でも、市民は誰も「お願いだから姉妹都市になってください」なんて言ったおぼえはない。

こういった、時代錯誤な住民への圧力が、今も根強く、古い土壌として残っている茅ヶ崎市。

同席する市の職員が、このような市民集会であっても談笑しています。

おそらく、外側から見た茅ヶ崎市のイメージなんて、実際にはないんですよ。