茅ヶ崎海岸の景観を守る活動
桑田佳佑さんの姉・岩本えり子さんの著書
「エリー (c) 茅ヶ崎の海が好き。」
えり子さんは、サザンファンや市民活動に参加した方はご存知のように、茅ヶ崎の、サザンビーチの自然と景観を守る市民活動をされていた。
茅ヶ崎で育ち、結婚後にアメリカに渡り、カリフォルニア州の海に面した小さな街、カーメル・バイ・ザ・シー で生活した。
カーメルは、海岸線と街並の美しさ、自然保護で知られる観光地。
レストランでのアルバイト、通訳など持ち前のまっすぐさと体当たりで道をひらいて、日本を離れてから26年後、1996年に茅ヶ崎に戻ってきた。
変わり果てた茅ヶ崎の海岸
茅ヶ崎で目にしたのは、
街は騒々しく、びっしりと家が建て込み、カーメルの雰囲気とあまりにも違う、変わり果てた海岸の姿だった。
茅ヶ崎の景観を守る活動のために「茅ヶ崎浜・景観づくり推進会議」
略して「はまけい」という会を2005年に立ち上げた。
この年、茅ヶ崎海岸で40年営業をしていたシーフードレストラン「フィッシュセンター」の跡地に、マンションが建設される計画が持ち上がった。しかも、14階建て、高さ47m。
茅ヶ崎海岸から見る富士は「関東の富士見百景」のひとつ。
高層マンションは、ちょうどこの景色をさえぎる高さで、場所も134号線より海岸側。
えり子さんたちは、「茅ケ崎海岸を守る市民ネットワーク」を組織して、建設反対運動の中心的役割を担い、3万を超える署名を集めた。
もちろん、桑田さんや加山さん、徳光さんの署名も入っていた・・・
その時のいきさつも、この本には書かれている。
当時、この時の活動は新聞に掲載されて、NHKでもニュースが流れた。
そして、マンション建設は断念され、今は3階建てブライダル施設となっている。
今も市長のハコモノ行政は続いている
これを機に、市は海岸のあるべき姿を考えようという「有識者の会議」を設置し、えり子さんも住民代表として会議の委員に選ばれた。
AERA の当時のインタビュー記事によれば、
そこまでは(高層マンション計画が撤回された)市民の声が行政を動かしたという「良い話」だったのだが、岩本えり子さんは「ここからが問題だった」 と言う。
「市が提出したのは道路や駐車場の開発案ばかり。結局、市民の同意も得ていますよ、というお墨付きを与えるための、アリバイづくりに使われたようなもの なんです。・・・」
2007年「茅ヶ崎市長選候補」として、えり子さんの名前が出たこともある。
もしお元気であれば、次回の選挙への出馬が実現していたと思う。
茅ヶ崎市長選挙では、出馬していないにもかかわらず、えり子さんの名前を書くために、多くの市民が投票所に出向いたという話も。
「茅ヶ崎のよさ」を残したい
なぜ、えり子さんは市長への出馬を考えたのだろう?
当時の市長(現市長と同じ服部氏)が行おうとしていたのは、いわゆる「利益誘導型の公共工事」だった。これが進められることで「茅ヶ崎のよさ」が失われてしまう。
(現在の状況と同じです。)
これを防ぐために立候補の可能性があると。
「カリスマ性があって話に引き込まれていくし、景観を良くしたいという一心で熱心に活動してきたので人望も厚い。『桑田さんのお姉さん』ということには関係なく応援したい」
という市民の声のあと押しで、現市長を破り、当選していた可能性は高い。
茅ヶ崎をほんとうに愛して、
茅ヶ崎の景観の保全に尽力した方だった。
もし、岩本市長が誕生していれば、
「茅ヶ崎も、かつてはカーメルのように文化の香りがする土地だったのだ。豊かな自然と、そこに住む人々の暮らし。かつてのように穏やかで美しい、街の調和を取り戻すには、どうしたらいいのだろう?」
と、えり子さんが考えていたような町に、近づいていただろう。
茅ヶ崎の景色の美しさも、
自然の環境の豊かさも、
町のかもしだす文化度のような空気も、
現在のお粗末で破滅的な茅ヶ崎と
まったく違った進歩をしていたことだろう。
市長と議員が変わらなければ、茅ヶ崎に新しい風は吹き込まない。
今、あの時と同じことが、また起きようとしているのだろうか?
『ラチエン通りのシスター』のラチエン通りに面した、市民6万人の広域避難場所である「茅ヶ崎ゴルフ場」の開発計画だ。
(ゴルフ場の6割を占める県有地を、県が開発しようとしている)
大地震で、茅ヶ崎の海岸側で、もっとも危険なのは延焼火災・・・
県の想定では、延焼焼失は2万軒、海岸一帯が焼け野原になる。
周辺の住民は、みどりと静かな住環境を望み、商業施設の建設に猛反対している。
サザンのコンサートのあった茅ヶ崎公園の、美しい景観もさま変わりする。
そんな現状を見ると、
この本は、えり子さんが、茅ヶ崎へ残したメッセージとも思えてくる。